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ヴァージン・スーサイズ
a0035483_10235648.jpgTHE VIRGIN SUICIDES(1999年アメリカ)
@aii-time favorite


大大大好きな『ヴァージン・スーサイズ』。あまりに好きすぎて言葉で表すにはわたしのボキャが追いつかない。そのくらい好き。でもこれじゃあ進まないのでがんばって拙い言葉にしてみたいと思います。


最初はセシリアだった。
空に飛び交うヘビトンボが美しい郊外の町を多い尽くす6月、
聖母マリアの写真を胸に抱きながら、彼女はバスタブで手首を切った。

なんとか一命を取り留めたものの、わずか13歳の少女が下した決断に
周囲の大人たちは困惑する。
「人生の辛さもまだ知らない年なのに」という医師に対し、セシリアは言い放った。
「先生は13歳の女の子になったことないじゃない」


以下、ネタばれしてます。
長いです。








a0035483_1052283.jpg父は数学教師、母は厳格で敬虔なクリスチャンであるリズボン家には、ブロンドの髪と碧眼の目を持つ美しい5人姉妹がいた。セシリア13歳、ラックス14歳、ボニー15歳、メアリー16才、テレーズ17歳。

最初の自殺未遂から2週間後、セシリアは再び窓から身を投げた。そしてセシリアの死から1年も経たないうちに、残りの姉妹も全て自殺してしまった。

彼女たちは世界中の光を集めたように輝いていて、僕らはその光に触れようと、必死で手を伸ばしたけれど、彼女たちはあざ笑うかのように指をすりぬけてしまう。あれから25年が経った。僕らだけが大人になり、彼女たちは今も僕らの記憶の中で、相変わらず輝き続けている…




タイトルや、映画冒頭で示唆されているとおり、五人の美しい姉妹が自殺してしまうお話。
でも自殺の謎を解き明かす映画ではないので、理由に関しての説明は一切ありません。
そもそも語り手は遠巻きに姉妹を見つめていただけのかつての少年だし、
電話越しにレコードで会話するシーンや、救い出そうとしたまさにその瞬間に
自殺の現場を発見してしまうという出来事に象徴されるように、
語り手である主人公にとって姉妹たちは「手が届きそうで届かない」存在なのです。
25年という長い月日が経ち、記憶や思い出、彼女たちが残した痕跡を手がかりにして
いまさらどうにもならない回想にふけっている、ただそれだけの映画。

「彼女たちはもう女で、愛や死について理解していたが、
僕たちは騒々しいだけのガキだった」というセリフがあります。
年月が過ぎて少年は大人になり、自殺してしまった少女たちは少女のまま留まり続ける。
それでも、彼らが彼女たちに追いつくことはないように思えます。
それはいまだに当時のことを振り返り「なんで死んでしまったのか」なんて回想している、
その行動からも感じられるのですが。

そして彼らにその理由は永遠にわからないでしょう。
でもこの映画は、その「わからなさ」や「遠くから見つめる憧憬の対象」としての描写が
本当によくて。核心に迫ら(れ)ず、近寄ら(れ)ず、終始第三者的に
ふわふわと追いかける感覚は、見る人によってはすっきりしないとか、嫌かもしれないけれど、
その距離感や対象の美化され具合が恋愛初期の心象をシンボリックに表現しているように思えて、
なんとも言えず心地よく苦しく切ないのです。
わたしたちは画面を通して、少年たちと同じ目で見ているのだから
姉妹に心を奪われるのは当然です。

a0035483_1114788.jpg『ヴァージン・スーサイズ』というタイトルは直訳だと
「処女の自殺」とか「無垢な自殺」とからへんだと思うのですが、
この映画は自殺がテーマの映画ではないと思っています。
自殺はあくまで象徴というか、ひとつのモチーフにすぎず、
これはむしろ少女性(処女ではなくて)の喪失を具現しているように思えるのです。

生きている限り年は取り続けるし、10代という限られた時間はあっというまに過ぎ去る。
a0035483_1118121.jpg彼女たちは自殺という選択をしてしまったことで、結果的に
失われつつある時間を永遠に留めることに成功してしまった。

失われるはずのものが失われないとしたら、
もうそれを失ったことを自覚している人、
自覚しつつある人にとって、
これほどひきつけられるものがほかにあるでしょうか。
だからこそ私は、

a0035483_11215122.jpg「かつて持て余していたにもかかわらず今は永遠に失ったもの」

を彼女たちに重ね合わせて、
こんなに切なくなってしまうのです。

音楽や小道具のお仕事は相変わらず見事。
細かくいうと(いいたい)ラックスのキラリ☆ウインクとか
下着に書いた"TRIP"、
香水瓶や化粧品が乱雑に置かれた洗面所、
ごちゃごちゃに散らかった部屋、
十字架にひっかかった下着。
家の映像だけで見せる時間の経過。
90年代後半のガーリー・カルチャーをそのまま凝縮してしまったかのような、
デビュー作にして集大成。
この少女趣味(いい意味で)とヴィジュアル・センスは
ソフィア・コッポラならではだと思うのです。
もうわたしは無条件降伏ですね。
長続きしない完璧な瞬間の美しさ、儚さ、残酷さ。

それにしてもラックス役のキルスティン・ダンストはほんとうにかわいい。
『スパイダーマン』のMJと同じ人とは思えません。

明らかにトリップを意識しつつも
表面には一切出さないようにしているときのあの感覚(視聴覚室みたいなとこにいるときのとか)、
だんだん抑えきれなくなっていく途中の表情(家でTV見てたトリップを玄関で送るときとか)
あぁこれ、この感覚すっごいわかる!!!!みたいな女の子モードに完璧引き戻してくれます。
でもわたしが一番好きなのが、屋根で煙草を吸うシーンの表情。
「満たされなさ」を男の人で満たそうとするあの空虚なかんじ。
そんなことで満たされないのはとっくにわかっているけれど、
それでも何もないよりはまだましだという気がしてしまう気持ち。
こんなことでしか自分の存在を確認できないことに対する苛立ち。
そういうものが全部出ていて。もういろんなとこに感情移入しまくりです。

末のセシリアもよかった。
あの、内側でいろんなことが起きてるゆえに表面はどんどん無表情になっていく感覚、
すごくよくわかります。

ああ、ボキャ貧。読んでくれた人ありがとうございます☆
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by manamizw | 2004-10-04 11:21 | cinefil