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ぼくセザール10歳半1m39cm
a0035483_23413530.jpgMOI CESAR, 10 ANS 1/2, 1M39
(2003年フランス)
2005/1/27@早稲田松竹


■あらすじ、てかヨコクのキオク■


ぼくの名前は、セザール・プチ。10歳半、身長1m39cm。ちょっと太めだけど、そのことはあんまり言われたくない。見下ろされるのは嫌だ。早く大きくなりたい。

どうしてパパとママは、自分ができないことを子供に期待するんだろう。ぼくが好きなのはサラ。サラのためなら命だって惜しくない。でも10歳の女の子に男は中身だってことをわからせるのは、簡単なことじゃない。親友のモルガンは、男のぼくから見てもかっこいい。でもモルガンの悩みは、自分のパパが、名前がフィッツパトリックでロンドンに住んでるってこと以外知らないってこと。ぼくとサラとモルガンは、3人でロンドンにモルガンのパパを探しに行くことに決めた。




a0035483_2346256.jpgまったく期待してなかったんですが、意外に結構おもしろく出来てた映画でした。カメラは始終1m39cmの高さに据えられていて、セザールの目線をアピール。物語もセザールの視点、セザールのナレーションで進む、完璧なセザールの一人称映画。

子供って無邪気でかわいいだけの無垢な存在じゃなくて、色々ちゃっかり・しっかりやってるし、あくどいことだって考えたり言ったり普通にしてるってこと、ちょっと思い返せばみんな覚えてるはずなのに、それがこんなふうに映画になったことでわざわざ反応が返ってくるってことは、覚えてないってことなのか?やー違うな、かわいくて無垢な存在ということにしちゃってたほうが色々描きやすかったりするからでしょうか。

でもこの映画は、「子供の視点で描いた」とかよく形容されてたけど、あんまそうは思いませんでした。「子供感覚を持った大人が撮った映画」、そんなところ。だって子供視点は子供自身で映画化しない限り、「子供視点で描いた」なんてありえないんだから。だからセザールがなにか言ったりやったりしても、リアルセザール(フィクションだからリアルもなにもないんだけど)の言動なんじゃなくて、セザールに投影した大人の感覚っていうのが見え隠れするんですね。当たり前だけど、素直じゃないわたしは、そのへんがうーんって思うんですよね。でも嫌いじゃない。むしろちょっと好き。セザールもサラもモルガンもみんないい子、でもみんなそれぞれ(主に親が原因だったりするけど)自分なりに問題があって。大人、特に親がいかに子供を傷つけるか、っていうのがすごく判りやすく描かれていました。

えー。期待全然してなかったけどどうしてもこの映画が観たかったその本当の理由はね、アンナ・カリーナを見るためでした。ちょっとドキドキしちゃったけど。ロンドンでカフェやってるパンクな人、っていう設定のアンナはほんとにパンキッシュで、顔とかしわしわで、でもかっこいいなって、普通に思ってしまいました。あ、わたしはアンナ・カリーナ好きなんで贔屓目以外の何物でもないけどね☆

映画見た帰り道は、もちろん「太陽の真下で」を歌いながら帰りました!

オフィシャル(日本語)
オフィシャル(フランス語)
↑どっちも凝ってますけどやっぱフラ語オフィシャルのが色とかごちゃごちゃしてなくて、かわいい☆
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by MANAMIZW | 2005-02-14 23:51 | cinefil