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トニー滝谷
a0035483_3241810.jpgTONY TAKITANI
(2004年 日本)
2005/4/4@ユーロ


これ、今んとこ今年のベスト。
もしくは『ビフォア・サンセット』と並んで同率1位。
駆け込みだったけど、観れて本当によかった。
ちなみに映画を観た時点で原作は未読。


あらすじはどこかほかのところでお願いします。

この映画、存在を初めて知ったときの第一印象は
「春樹の映画化!?ぜってー無理、やめとけ!」だった。
でもちらしを見て「あぁこれいけるかも」と即座に考えを翻した。
ちらしから、映画の空気感が伝わってきて
「あーこれ好きかも」と思い始め。
その印象は、予告編を観たときには確信に変わっていた。
思い込みではなく、直感。
こういうわたしの直感は、当たる(断言)

以下、ネタバレかつ夥しく長い。ヒマでやさしい方どうぞ。





「余計なものを削ぎ落とした映画」ていうのはよく使われる言葉かもしれないけど、
ここまでシンプルな映画も初めてかも知れない。
ただひたすら、淡々と、淡々と、流れていく。

わたしは基本的に映画は原作を越えないと思っている。所詮別物だ。
でも、「映画」という言葉はこの映画のためにある言葉だと、実感した。
これは原作の「映画」だ。別物ではない。

ていうかさっきも書いたけど、わたし原作読んでなかったんだけどね。
でも映画観た後その足で本屋行って、すぐに読んだ。(←買ってない)
ラストは原作と違うのですね。
わたしはなんの知識もなしに観たので全く違和感は感じられなかったけど、
例えば春樹を全作読んでるような、春樹好きが、この映画を観たらどう思うんだろうね。
ぜひとも春樹好きでこの映画を観た人の感想が聞いてみたい。
春樹は一部しか読んでいないわたしからすると、
そのわたしが知る限りの春樹の世界は壊れてなかった。

a0035483_3464658.jpg登場人物も少なく、しかも主役二人がそれぞれ二役をこなしたり、ナレーションがせりふと同化してたり、ゆるやかな右への移動で時間の流れを表した映像。こんなに異質なことをしているのに、妙にしっくりおさまっている。

透明感や空気感、完璧な構図、孤独という概念の扱い方など、『ロスト・イン・トランスレーション』に通じるものがあるかもしれないと、ぼんやりと考えた。

(余談だけどこういう「構図がいちいち美しい映画」を立て続けに観すぎると、
M.ナイト・シャマランあたりの映画を観たときに衝撃を味わえます。
こないだDVDで『サイン』を観たんですが、あれはもうほんと(以下略))

でも『LIT』がソフィア・コッポラゆえのセンスというか色に溢れているとしたら
こちらはもっと繊細に、無機質に、中性的に、
全てのものをギリギリまでそぎ落としてしまっている印象。
でも、そぎ落としたから映画としての濃度が薄まるとか、
印象が弱くなるというわけではない。
むしろ逆。
淡々としているのに、濃くて、
攻められると痛いポイントだけを局所的に狙ってこられたかんじ。
とにかく観終わった後もしばらく余韻を残す映画だった。

始まって間もないうちから、なんかこう
がんがん訴えてくるものがあって(こんなに静かな映画なのに)
泣きそうになってしまった。
静かな映画ほど雄弁だ。
わたしは余白が好きなのかもしれない。
ていうか、ぶっちゃけ、不覚にも本当に泣いてしまった。
映画もそうだけど、あのピアノのせいだ。
坂本龍一の音楽をこんなにいいと思ったことはない。
あのエモーショナルな旋律、一体なんなんだ。

この映画を観た後、どんな音楽も聴くことができなかった。
自分の中で、ざわざわと波立っている感情があって、でもそれはすごく静かで、
音が消えてもずっと耳に残っている余韻のように
目を閉じても離れない残像のように、
いつまでもいつまでも消えなかった。


a0035483_3405165.jpgはじめは喪失の話かなぁと思っていた。
「孤独に慣れ、孤独をなんとも思っていなかった人が、恋に落ちて、孤独を恐れるようになり、そしてその人を失ってしまう。」ていう話だと思ってた。でも違うな。

もちろん喪失がテーマではあるんだけど、そう言い切ってしまうのは少し違う気がする。どちらかというと、「本当の孤独を知ってしまった。」て言うべきかなぁ。


孤独を感じるのは、それが孤独だと認識している自分がいるからだ。
英子(A子?)に出会う前のトニー滝谷は、状況的に孤独であった
(周りに絡む人を作らないという意味で)だけで、
孤独感や疎外感は特に感じていなかった。
状況的に孤独であるということと、自覚として孤独感を持つことは違う。

初めて手に入れたいものを見つけてしまったとき、トニーの孤独は始まった。
何かを手に入れたいと思うということは、
そのものが今自分のもとにないということを、強く意識することだ。

友達も、仕事も、お金も、恋人も、それなりに手にはしていたけれど
切望して手に入れたわけではない。
ただたまたまあったか、手に入っただけだ。
だから当然執着もしていない。
なくなったとしても、何も思わなかったかもしれない。

でも失いたくないと思ったものを実際に手に入れてしまうと、
不安で不安でしょうがない。
自分が孤独ではないと気づいたとき、
大切なものを失えば孤独になるのだということにも気づく。
失う恐れを抱くということは、何も手にしていないことよりも、不安だ。


a0035483_405275.jpgところで本筋とはずれるけど、英子の買いっぷりにはかなり共感が。「買い物のときに顔が変わる」は、わたしもよく言われている。わたしが買う洋服は、この人みたいなハイファッションではないんだけども。

今年になってから何着買ったんだろう。しかもそのうちまだ1回も着てない服何着ある?
1回しか着てない服は何着よ?


薄給のわたしが1日働いて得る賃金よりも高い服、なんてざらで。ぴらぴらの一着が、実は3日間働いてやっと得るお金分だった、なんてのも当然あるわけで。
「綺麗な洋服を見ると、買わずにはいられないの」って、すげえわかる。
(レベルは違うけどねもちろん)

それにしても宮沢りえ綺麗だ!綺麗すぎ!
「洋服を着るために生まれてきた人」っていう設定にぴったりだった。
ていうかイッセー尾形もよかった。かなり。

前にも書いたんだけど、
判る人にだけ観てほしい映画。
判らない人には観てほしくない。
つうか、観んな。
触れんな。わたしの大好きな映画に。

ていうそういう勝手なことを言いたくなるくらい、
大切に大切に大切にしたくなった映画です。

早く出てくれDVD!!!
つうかサントラはあるんだろうか?
サントラほしい。

トニー滝谷 オフィシャル
イッセー尾形インタビュー 
↑あの空気感はこうやって作られたのですね。
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by manamizw | 2005-04-21 03:54 | cinefil