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ボーイズ ドント クライ
a0035483_231114.jpgBOYS DON'T CRY
(1999年アメリカ)■DVD


一度観て、「もう二度と観たくない」と思った映画。
それなのに、また観てしまいました。
それはつまり、まだ観れるということなんでしょうね。
(わたしが本当に「もう一生観たくない」と嫌悪してる映画は、『アレックス』くらいです。)


どうしてこれを観たくないかというと、ひどい話だからです。
そしてこれが現実に起こった事件だと思うと、いたたまれないからです。
以下、ネタばらしまくり。





性同一性障害の男性を描いた映画です。
ここで、強調しておきたいのが、
ブランドン・ティーナは男性だということです。
決して「男になりたかった女性」や、
「男の格好をしていた同性愛者」ではありません。
いわゆる身体の性と、心の性が一致していないのが性同一性障害、だと思うのですが、
間違っているのは心ではなく身体のほうです。
ブランドン・ティーナが性同一性障害だったとするならば、
彼は女性ではなく男性です。
ブランドンを指して「彼女」や「性同一性障害に悩む女性」と言った表現はすべきではありません。

ブランドンは決していわゆるまっとうな人間ではないですね。
嘘をつくし物を盗むし、やらなくちゃいけないことより目の前の楽しいことを
優先する。そして非常に狭い世界で生きている。
どこかで違う選択をしていたら、もう少しましな結末はあったのかもしれません。
例えばフォールズ・シティじゃない町、もっと都会に行くとか。
裁判所から逃げない、とか。
あのときリンカーンに乗せてってもらって帰ってれば、とか。
でもそうしなかったのがブランドンなんだろうな、と思いました。
弱さが人間ぽくていいですね。
だってわたしだって逃げまくりです、いろんなことから。

a0035483_234820.jpg唯一の救いがラナ(←クロエ・セヴィニー、肌キタナくてもかわいい)でしょう。みんなに罵られ酷い仕打ちを受けても、自分の愛した人が自分の味方でいてくれるってことはそうそうあることじゃありません。その点だけが、ブランドンの救いだったと思います。

「私だって完璧じゃない」という台詞がすごく心に残りました。


そもそもどうしてこの事件が起きたのか?
たとえばブランドンの性同一性障害が発覚したこと、
ラナと恋に落ちたこと、
ラナに暴力的ストーカー保護者ジョンがいたこと、など
箇条書きにしていけば要因は色々あり、
もちろんその複合的結果として事件は起きたのだと思います。
でも一番の問題は何か?

それはこのフォールズ・シティという町の閉鎖性だと思うのです。
a0035483_2363487.jpg犯罪を犯したジョンとトムだけでなく、ラナもキャンディスもケイトも、要するにこの映画に出てくる主要キャラはみんな田舎のヤンキーちっくなんです。やってることが田舎のヤンキー。現状に不満を抱えながらもその現状に必死でしがみついてる。

ブランドンは彼らにとって「女のくせに男のふりをしてラナに手を出したレズ」にしか映らないのでしょう。


そして不満足でも現状を維持することに重きが置かれる保守的な田舎町では、
ブランドンは理解を超えた異物であり、
理解しようと試みられることもなく、それゆえ排除される運命にあったのかもしれません。

それにしても、男として生きようとする彼に、
身体が女であるということを思い知らされる暴行のシーンは、
二重の意味で痛くて、辛かった。
「自分が悪かったんだ」って言うしかないなんて悲しすぎる。


ところで、それでも映画としては稚拙な印象があるんですよね、これ。
なんだろう、どこかで見たようなシーンの積み重ねっていうか。
個人的趣味と思われる、場にそぐわない音楽の使い方とか。

留置場のブランドンをラナが釈放してあげる(?)シーンで、
二人が手をとって走るシーンがあるんですけど
なんかそこの音楽の選択は間違ってる気がしてなりません。
うまく言えないんだけど、この違和感わたし以外でほかに感じた人はいないでしょうか?
なんか脱走してきたみたいなシーンになってしまってるんですよ。
軽すぎるっつうか。

でもまぁヒラリー・スワンクはすごいと思うし、
事件を知って考えるという意味ではいい機会かもしれません。
これで二回も観てしまったわたしは、もう観なくていいやってかんじですけどね。

オフィシャル
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by manamizw | 2005-05-17 02:48 | cinefil